玉藻の前(九尾の狐)

玉藻の前 (九尾の狐)

九尾の狐は、妖怪界でもトップクラスに壮大な伝説を持つ、ラスボス級モンスターの一角です。

古代のインドで暴虐を尽くした後、紀元前11世紀からは度々美女の姿で中国の皇帝に取り入り、贅沢を尽くし国を滅ぼします。そして平安末期の8世紀ごろ日本に渡ってきて、当時の権力者であった上皇に取り入るも、正体がばれ殺生石に姿を変えた…というのが玉藻伝説の概略です。

その後、殺生石が砕かれたのなんのと細かい話がありますが… ただ話の概略の壮大さをみると、歴史の表舞台に出てきてない期間も長いので、今は休んでるだけとも考えられます。
ま、残念ながら今の日本には彼女の眼鏡に叶うような器の権力者がいないので、目覚める心配はいらないでしょう。

さて、お話の中の設定ではなく、その伝承の成立について考えてみたいと思います。

前述の玉藻伝説が日本人に明確に書き読まれるようになったのは室町時代以降ですが、これは中国から伝わった話を下敷きにしたものだと言われています。じゃあ中国ではどういう話かというと、もっとも古くは、古代中国のモンスター図鑑「山海経」の「南山経」に「青丘の山に九尾の狐がいて人を食う」っていう話が出てきます。山海経は地域ごとにいくつかの書物に分かれてるんですが、この南山経の示す地名が現在の地名でどのあたりなのはわかりません。

次に、同じく「山海経」の「海外東経」に「青丘国に九尾の狐がいる」って話が出てきます。扶桑(古代日本の美称のひとつ)の南に歯黒国*があってその南が青丘国です。
当時の日本では既にお歯黒があったと言われてるんで、歯黒国も日本なんじゃないかとボクは思うんですよ。そうすると青丘国も日本のどっかなんじゃねえの…? 青丘国の南が「朝陽の谷」なので、少なくとも中国から見て東の方ではあると思うんですよ。

青丘山と青丘国が同じなのかはわかりませんが、もしかすると九尾の狐伝説って話の中と同様に「インド→中国→日本」って伝来したのではなく、「日本→中国→日本」、あるいは日本の話を中国風に味付けしたとかそういう出自である可能性もあるんじゃないでしょうか。

…そもそもインドに狐いないよね?

山海経は紀元前5世紀から3世紀の本で、一般的には奇書・トンチキ本という扱いで、内容を大真面目には語られてはいない本です。しかし伝説の中に歴史が眠っている、という考え方に基づけば、魏志倭人伝より古い日本の姿を伝えている唯一の本だとも言えるので、まともな研究者の人にもっと解説してもらいたいところです。

九尾の狐の話に戻ると、話どおり古代インド由来と考えるても、ヤマタノオロチより古い日本土着神と考えても、ラスボス級には変わりないですね。

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*黒歯国は魏志倭人伝にも名前だけ登場するので実在である可能性がそれなりにあるかも。邪馬台国を九州とすれば台湾あたりになるという説もあるらしい、ただし山海経は魏志倭人伝より600年くらい古い本なのでなんとも言えないけど。

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